「リメンバーアラモの砦」(1845年)

1836年、アメリカは当時まだメキシコ領だったテキサスのサンアントニオに、独立運動の象徴アラモの砦を築かせた。これはメキシコ軍が襲ってくるのを見越した上のことだった。
案の定、1845年、籠城した200人の人々はメキシコ軍の攻撃を受けて全滅してしまった。
アメリカはこの事件を「リメンバー・アラモの砦」という合言葉で、国民の戦意を鼓舞し、戦争を正当化して侵略戦争を起こした。
このメキシコとの戦争での勝利で、アメリカはテキサス、ニューメキシコ、カリフォルニアなど、当時のメキシコ領の半分に当たる広大な領土を奪った

これに味をしめたアメリカは、1898年、同じ手口でスペインと先端を開く。そのときの合言葉は「リメンバー・メーン号」である。このアメリカの常套手段は日本の真珠湾攻撃時の「リーメンバー・パールハーバー」と続く。

  「リメンバー・・・」


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参考文献 歴史年表