日本政府は明治20(1887)年、ルードウィッヒ・リースというドイツ人を帝国大学に招いて世界史を講義させた。 これが日本における近代歴史学の誕生となった。これが日本人が初めて知った「世界史」である。 西洋における歴史学は、「歴史の父」といわれたベルリン大学教授のランケに始まるといわれる。ランケの世界史は西洋中心論で、アジア野蛮論を説き、西洋は常に善であり、文明の父であるという西洋優位支配の正当性を説いてきた。ランケはアジアをひどく蔑視していた。特にヨーロッパに侵入したことのある蒙古(モンゴル)に対しては敵を持っていた。一方、ヨーロッパについては、偉大なる民族共同体と称賛していた。 日本が帝国大学に招いて世界史を講義させたルードウィッヒ・リースはリースは師であるランケの思想をそのまま受け継いでいた。このため日本の歴史学には、最初から西洋中心主義の偏見が入り込むことになった。それが現在の東大の西洋史学教室の伝統になり、教授の多くが偏見した西洋優位論に立ち、日本を卑下する傾向を生む元凶になっている。 |
参考文献 | 歴史年表 |