戊戌維新(ぼじゅついしん)

支那(清朝)も日本の明治維新に習って、富国強兵を目指す政策をとったが、中体西用(ハードは西欧のものを取り入れるが、ソフトは支那のものを使う)という旧態依然の体制に止まり、成功しなかった。アヘン戦争に負け、アロー戦争にも負け、さらに清仏戦争、日清戦争にも負けた。アヘン戦争以来、戦争のたびに敗れ、約60年後の1898年に、ようやく一部の維新派によって明治維新の模倣である維新を決行した。
康有為らによって推進され、君主専制から立憲君主制に改めようという政治改革運動だったが、皇帝(光緒帝)の支援はあったが、西太后らの反撃によって100日で挫折した。
西太后は摂政に復帰し、光緒帝を幽閉した。

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参考文献 歴史年表