日本海海戦(1905年)

日露戦争中、対馬東沖を戦場として、日本海軍の連合艦隊とロシア海軍のバルチック艦隊との間で行われた戦い。ロシア艦隊は戦力の大半を失い壊滅した。日本側の損失は軽微で、海戦史上まれな一方的勝利だった。

日露戦争における日本海海戦は白人にとってのレパントの戦いという一面があった。

  レパントの戦い(1571年)

それまでは海上で白人の国が有色人種に勝ち続ける時代だった。日本海海戦は有色人種が白人との海戦で勝った最初の戦いである。これが白人に与えたショックはきわめて大きかった
19世紀、白人国家は文明力の優越をもって有色人種を支配したが、その文明力の象徴である海軍の戦いで有色人種が白人の大艦隊を全滅させた。このことは、海軍の重要性を知っている欧米人にとってショックが大きかった。アメリカが日露戦争後の日本に対して従来のような友好的態度を示さなくなり、警戒心をもつようになったのは、それを端的に物語っている。

「有色人種が海軍で勝てるようになった」という日本海海戦のショックは、有色人種の側にも影響を及ぼした。これは日露戦争全体の勝利ということも含めて、「白人に支配される状態からの独立」という意識を強めた。
アジアではベトナムのホーチミン、インドのネール、支那の蒋介石と毛沢東も日露戦争で大きな感銘を受けている。とりわけ清国は長い間ロシアに苛められていたから、、日露戦争後に日本へ留学生が急増し、日本に学ぶ一方の時代になる。

ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください
参考文献 歴史年表