原敬内閣

護憲運動(大正政変)」軍部大臣現役武官制の廃止などの動きによって、大正デモクラシーが始まっていた。
米騒動で前内閣が総辞職し、立憲政友会の原敬(はらたかし)が首相となった。原は、陸・海・外務の3大臣以外のすべての大臣を、衆議院の第一党である立憲政友会の中から任命し、日本で最初の本格的な政党内閣を組織した。
英米流の民主主義が人々の心をとらえており、原が平民の宰相として広く支持された。第一次世界大戦でドイツがアメリカとイギリスに敗れたということもあり、天下の大勢は平和主義と軍縮の方向へ転じた。
原はまず、台湾総督府と韓国総督府の管制を改正し、それまで軍人が務めてきた総督に文官もなれるようにした。そして、すぐに、新総督に文官を任命する。また、ワシントン会議で海軍大臣が留守になるとき、原は自らその代行を申し出て「文官軍部大臣」の最初の例を作った。
しかし、残念なことにその3週間後、原は暗殺されてしまった。

その後は、非政党内閣が続いたが、大正13年(1924)、加藤高明を首相とする護憲三派内閣が成立し、加藤は大正デモクラシーの華ともいえる政策を次々と実行する。

ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください
参考文献 歴史年表