パリ講和(平和)会議

第一次世界大戦の講和会議である。この会議では、敗戦国ドイツを徹底的に抑圧する決定が下されたが、日本に対する風当たりもますます強まってしまった

第一次世界大戦後、実力のある列強は、イギリス、フランス、アメリカ、日本の4ヶ国になった。
その第一次世界大戦でアメリカはイギリス、フランスに恩を売った。このため会議は結束を強めたイギリス、フランス、アメリカ3ヶ国の主導で行われることになった。しかもアメリカは日本を牽制するためにオブザーバーに過ぎなかった支那の発言権を認めた。これに乗じた支那は一度は批准した条約を無視するような発言を重ねアメリカもそれに露骨な支持を示した。
当時アメリカは「親支反日」路線をとっていた。支那大陸にいたプロテスタントの宣教師を情報機関として「悪者・日本」のイメージを広め、支那の排日運動を煽っていた

第一次世界大戦の戦勝国として日本の格が上がったことで、アメリカがますます日本に対する強い敵愾心と恐怖心を持つようになった

パリ平和会議では、今後は、列強間で強調して国際政治を担うという理念の下、国際連盟が設立されることとなったが、日本はその規約に「人種差別撤廃条項」を盛り込むことを提案した。

  人種差別撤廃提案

この提案は、アジアに植民地を持つ欧米列強には非常に危険な思想であり、アメリカはこれを日本の陰謀と考えた。アメリカの日本敵視はさらに強まり、日英同盟を廃止させようという方向に向かう。

パリ講和会議の結果、ベルサイユ条約が結ばれる。

  ベルサイユ条約


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参考文献 歴史年表