東方会議(1927年6月)

昭和2年(1927)6月、東方会議という連絡会が開かれた。これは田中義一内閣の新しい対支那政策を討議するために、森恪(もり かく)外務次官が中心になって6月下旬から7月上旬にかけて開催したものである。

会議の目的は、それまでの軟弱な「幣原外交」を改め、積極的な方針を打ち出すことだった。ここにおいてはっきり決められたのは、支那の反日運動に関しては、外国人の生命財産を守るべき支那政府にその能力がない以上、居留民の声明財産を守るために断固たる措置をとるということだった。
決められた内容自体はまことにもっともなもので、支那でも歓迎するような声が上がったほどである。

その2年後の昭和4年(1929)、この会議の決定にづいて田中首相が書いたという「田中上奏文(田中メモランダム)」が支那でばらまかれ、英文のパンフレットは世界中にばらまかれた。

  田中上奏文(田中メモランダム)


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参考文献 歴史年表