張作霖爆死の5日後、国民革命軍は北京に入り、ここに一応の南北統一が成り北伐は終了した。 第二次北伐(1928年4〜6月) 日本にすれば、万里の長城より南で支那の政府が成立することに異存はなかった。万里の長城より南は支那であり、北は満州だからである。 ところが、張作霖の息子の張学良が、亡くなった父親に代わり満州を支配するようになり、いきなり満州の旗に代えて国民党の「青天白日旗」を掲げた(「満洲易幟(えきし)」)。これは日本と戦うと宣言したに等しい行為であった。 満州易幟(1928年12月) |
参考文献 | 歴史年表 |