熱河作戦(1932年)

柳条湖事件(満洲事変)で満州から追い出された張学良熱河省(満州内)で義勇軍を作り、反満抗日に動き出した。
この勢力をたたくために関東軍が実施したのが熱河作戦である。
関東軍は張学良軍を破って万里の長城の主要な関門を押さえ、張学良軍は万里の長城以南(関内)へ追いやられた。
この作戦は、満州独立を脅かす敵を掃討するために行なった満州独立に付属するものだった。
熱河作戦は軍事行動として見事だったと言われている。
関東軍司令官の武藤信義大将は、「熱河省は満州国領内であり、熱河作戦は対支戦争を起こすためではない」といい、「長城の向こう側の河北省は中華民国の領域だから越えてはいけない」と部下に命令した。日本としては満州の独立を確保するところでとどまろうとしたのである。

ところが、支那側は万里の長城から攻撃する。さらに20個師団近くを集めて攻撃を行い、一部の軍隊は満州国領内の熱河省に入ってきた。これに対して関東軍は関内作戦を行う。

  関内作戦


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参考文献 歴史年表