第二次上海事変前の状況

通州事件の1ヵ月後の上海は非常に不穏な空気に包まれていた。5年前の第一次上海事変の協定に違反して、支那側は以前から非武装地帯に軍隊を配置し、ドイツから軍事顧問を呼んでクリークやトーチカを作るなど要塞化を進めていた。日本軍を全滅させるような準備をずっと前から整えつつあった。盧溝橋事件以来、蒋介石はさらに増派し、非武装地帯にもかかわらず、10個師団と多数の偽装保安隊を配備した。このほかに、抗日団体、左翼団体が数多くあり、非常に不安が高まった。そのため、一般の支那人たちが避難のために租界へ流入し始めた。
上海とその周辺には日本の工場がたくさんあり、大勢の日本人がいる。通州事件があったばかりで、再び皆殺しにされかねない状態になった。上海には陸軍はおらず、海軍陸戦隊のみでとても守れない。海軍の要請に基づき、日本政府は内地の二個師団を送ることにした。

  第二次上海事変


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参考文献 歴史年表