アメリカ「隔離演説」(1937年)


  「中道政策」

昭和12(1937)10月5日、アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトはシカゴにおいて演説し、世界人口の9割の平和と自由と安全が国際法と秩序を踏みにじる1割の人間に脅かされているとし、「不幸にも世界の無秩序という病気が広がっているようだ。身体の病気が広がり出したら、社会はその健康を守るため病人を隔離するものだ」とほざいた
これは「隔離演説」と呼ばれ、支那事変勃発後、アメリカ政府指導者による最初の明白な日本非難であった。国務省が作成した演説原案には「隔離」云々の部分はなく、演説直前にフランクリン・ルーズベルト自身が入れたのだ。
この「隔離演説」は激しい非難を受けた。演説後、6つの平和主義団体が、フランクリン・ルーズベルトはアメリカ国民を世界大戦の道に連れて行こうとしている、との声明を出した。アメリカ労働総同盟は「アメリカの労働者はヨーロッパ、アジアの戦争に介入することを欲しない」との決議を行った。アメリカを参戦させないための請願に2500万人の著名を求める運動も始まった。
「隔離演説」の挑戦的な調子が、アメリカ国民の間に戦争に対する危惧と反発を招いたのだった。

参考文献:大東亜戦争への道 (中村 粲)


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参考文献 歴史年表