ドレスデン大虐殺(1945年)

ドイツのリューベックに対する都市爆撃による虐殺以外にもイギリスはアメリカとともにケルンなど多数の虐殺を実行した。

  リューベック虐殺(1942年)

その中でも1945(昭和20)年2月13日のドレスデンに対するものは歴史に残るものだった。
世界でもっとも素晴らしいバロック建築の多く残っているこの都市をイギリスとアメリカは徹底的に爆撃した。イギリスは第一波が2百数十機、第二波が5百数十機で市街地を爆撃し、さらにアメリカの450機のB29が、65万個といわれる焼夷弾を落とし、そのうえ戦闘機が機銃掃射を行った。このため死者は13万5000人でたという
日本への空襲同様、民間人を殺戮した明らかな戦時国際法違反の虐殺であった。物資が豊富だったアメリカとそのアメリカから湯水のごとく援助を受けるイギリスはこういった無法な虐殺を行っていたのだ。アメリカやイギリスにナチスの虐殺を批判する権利などありやしないのだ。
ヨーロッパでやられたのはドイツの町だけではない。


  モンテカッシノ修道院爆撃(1944年)

参考文献:日本史から見た日本人 昭和編(渡部昇一著)


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