ニューデリー軍事裁判

日本の協力によりインド国民軍が創設され、1943年7月3日には自由インド仮政府が誕生した。

  自由インド仮政府

1944年4月には、インド国民軍は初めてイギリス軍と交戦し、これに大打撃を与え、初戦において凱歌をあげたが、雨期にたたられたインパール作戦は、日本軍の惨憺たる敗北に終わり、終戦がやってきた。
チャンドラ・ボースは、終戦の詔勅が発せられてから三日目、1945年8月18日、台北飛行場で、搭乗機の事故のため死亡した。
三連隊長はじめ生き残ったインド国民軍将兵は、ビルマでイギリス軍に捕らえられ、ことごとくニューデリーに護送された。
イギリスは東京裁判に倣って、インド国民軍将兵約2万人を「宗主国イギリスの女王陛下に対する反逆行為をした犯罪人」として裁こうとした。
しかし、この裁判は逆に、インドの独立を決定的なものにしてしまった
裁判に反発したインドの民衆は、インド国民軍を「侵略国日本に協力し、イギリスに対する反逆行為をした犯罪人」などではなく、「インド独立の英雄」として迎えた。彼らは、崇拝するチャンドラ・ボースのもとで、祖国解放のために戦ったことを、この上ない誇りとした。
この裁判において裁かれたのは、イギリスの二百余年間にわたる侵略の歴史であり、数々の暴虐と圧政と搾取と略奪の事実であり、イギリス軍の不条理であり、非人道性であった。世論はあげて、これを強力に支持したばかりか、インドの民衆は一斉に実力行使に立ちあがった
日本軍に対するイギリス軍の勝利は、インド民族にとって敗北の日であると受け止められたのだ。裁判を勝ち取るためのストライキや、ボイコットや、デモは、次第に全国的な盛り上がりを見せ、新聞やラジオは、被告たちの戦場における英雄的行為を報道し、反面、イギリス軍のインド兵に対する偏見や弾圧や残虐な行為をあばきたてた。
焼打ち事件はいたるところで起き、集会とデモは連日連夜、波状的に行われた。そしてついに警察官やインド兵が動揺し始め、流血の惨事はますます拡大した。イギリス軍の軍司令官はデリーやカルカッタに戒厳令をしいた。
イギリスとしては、二百余年間の主権者としての威信を保持し、インドの当時を盤石ならしめるためには、反逆者に対してはこれを徹底的に懲らしめる必要がある。憎むべき日本と手を結んで仮政府を作り、堂々とイギリス軍に歯向かい、多数のイギリス人を殺戮し、あるいは捕虜としてはずかしめたインド国民軍の指導者を、今後の見せしめのためにも、厳罰主義をもって処断する必要がある。英印軍の軍法では、上官侮辱、抗命、通謀、利敵、反逆は、文句なしの銃殺刑となっている。
ところが、この全インドに巻き起こったすさまじい民族的抵抗に逢着して、イギリス政府も総督も軍司令官も狼狽した。慌てふためいた彼らは、ついに軍事裁判の最高責任者をして、反乱罪は取り下げる、たんなる殺人暴行罪として起訴すると声明せしめたが、インド民衆の怒りは、それもなお、治まらなかった。軍事裁判の判決は、三人の被告に対し、殺人暴行罪として15年の禁固刑のいい渡しを行ったが、それはイギリスのメンツ上の形式で、軍司令官命により、同日付をもって「執行停止、即日釈放」の宣言を下したのである。まことに政策的とも言うべき珍妙な裁判に終わった。さすがの大英帝国の威信も、厳格を誇った軍法も、燃え上がるナショナリズムの烽火の前には、あえなく屈したのである。

それにしても情けないのは、終戦後の日本国民の事大主義である。
鬼畜米英などと言って野郎自大的になっていた態度もさることながら、ひとたび占領軍が進駐してくるや、占領軍に平身低頭したばかりか、唯々諾々として占領政策に忠誠を誓い、日本の弱体化政策、愚民化政策、骨抜き政策に奉仕し、みずからの手をもって、これを短時日の間に成就した。その情けない態度、そのさもしい根性を、パール博士の日本無罪論の作者である田中正明氏は指摘している。
国民は騙されたといい、指導者は責任のなすりあいをやり、いわゆる文化人は勝者にこびへつらって、牛を馬に乗り換える。これが当時の風潮であった。日本の官僚、政治家をはじめ、学者やジャーナリストの多くは、戦時中は軍部に、敗戦後はアメリカに、占領が終わると親ソ反米に傾く。この風潮は今日なお尾を引いて、日本の社会心理を極めて不安定にしている。
広島・長崎に投下された原子爆弾の悲惨極まりない禍害も、日ソ中立条約を一方的に破棄して満州になだれ込んで暴虐の限りを尽くしたソ連軍の侵入も、そもに日本の侵略戦争を終わらせるための正当なる手段で、悪いのは日本の軍閥である。8月15日の終戦は、「日本の黎明であった」---このような意見が、日本人自身の口から、臆面もなく堂々と放送されたのである。同じ敗戦国のドイツやイタリアでは、とうてい信じられないことであった。
ラダ・ビノード・パール博士は、東京裁判を通して、戦勝者の思い上がった傲慢な態度に痛棒をくらわせると同時に、日本国民よ卑屈になるな、劣等感を捨てよ、世界の指導国民たる自負をもって、平和と正義のために戦ってほしいと訴えている。われわれはパール博士の権力に対する不服従の精神を通して、二百年間イギリス帝国の統治下にあって、なおかつインドの宗教と文化の伝承を完全と守りぬ抜き、少しもこれを損なわなかったのみか、これによって独立を勝ち取ったインド民族の、その強靭なる土性骨に学ぶべきだろう。

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参考文献 歴史年表