日本へのアジア諸国の支援

サンフランシスコ講和条約によって国際社会に復帰した日本であるが、日本を懸命に支援してくれたのは、大東亜戦争を評価するアジア諸国の指導者たちだった。

1951年、講和会議の席上、セイロン(現スリランカ)代表の蔵相はこう演説した。
アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである」よってセイロンは日本に賠償を求めないと述べた。

インドは、サンフランシスコ講和条約への参加を拒否したが、それは日本に対する賠償要求規定に反対する意味合いもあった。
1957年5月、インドを訪問した「A級戦犯」容疑者の岸信介首相を歓迎する国民大会が開催された。3万人近い群衆が集まる中、ネルー首相は日露戦争における日本の勝利がいかにインドの独立運動に深い影響を与えたかを語ったうえで、「インドはあえてサンフランシスコ条約に参加しなかった。そして日本に対する賠償の権利も放棄した。これは、インドが金銭的要求よりも友情に重きを置くからにほかならない」と述べている。

このように「日本はアジアのために戦ってくれた」という友邦意識を持って日本への賠償請求権を放棄した国には、このほかにラオス、カンボジアがある。
日本が賠償を支払った場合でも、大東亜戦争の理想に共鳴した指導者たちによって、その額は低く抑えられた。

日本の協力を得て1943年8月に独立を宣言をしたビルマのバー・モー政権において外務大臣を務めたウー・ヌーは戦後首相に就任、他国に先駆けて1954年に対日平和条約と僅かな金額による賠償経済協力協定を結んでいる。

大東亜戦争の理想に共鳴したアジア各国の指導者たちによって日本は過酷な戦後賠償から逃れることができたばかりでなく、東南アジア市場への進出を支援され、今日の経済発展の基礎を築くことができた。大東亜戦争の精神的遺産に、わが国は支えられてきたのだ。

大局から見れば、いまだに東京裁判史観にこだわる支那、ロシア、朝鮮とその同調者たちがわが国の国益を脅かしてきた一方で、東京裁判史観に批判的なアメリカの保守派、そしてアジアの指導者たちの指示によってわが国は国際社会に復帰し、今日の発展を遂げることができた。

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参考文献 歴史年表