毛沢東、日本軍感謝発言

昭和39(1964)年、日本社会党委員長の佐々木更三は、人民大会堂で毛沢東と会った際、無知にも、次のようなことをほざいてしまった。
今日、毛主席からひじょうに寛大なお話をうかがいました。過去、日本の軍国主義が中国を侵略してみなさんに大へんご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思います

それに対して毛沢東は以下のように答えた。
なにもあやまることはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。おかげで、中国人民は権力を奪取しました。日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、わたしとあなたの間には、意見の相違と矛盾がありますね

それに対する佐々木の返答は、
ありがとうございます

佐々木の異常なほどの卑屈さは笑えるが、大事なことは、毛沢東の発言である。
日本軍と支那国民党軍を戦わせることで支那共産党は生き延びた。そういった戦略があったから日本軍が来てくれたのは、支那共産党にとって大賛成だった、うれしかったのだと、言っているわけだ。
日本と支那国民党を戦わせて、双方の力を殺いでいくというのが支那共産党の戦略だった。そしてその支那の戦略の裏には実はもっと巨悪が横たわっていた。それがコミンテルンである。コミンテルンが支那共産党に指示をして、国民党と手を結んで、とにかく共通の敵として日本と戦えという大戦略を描いた。そして様々な支持を支那共産党に与えてきた
のである。

こういった事実を日本人は目を向けない。あくまで支那は平和志向だったと思い込んでいる者がいまだにいるというのは、日本政府、マスコミなどのせいであろう。

  コミンテルン
  支那共産党組織


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参考文献 歴史年表