文化大革命

昭和41〜45年(1966〜69)にかけて、毛沢東が権力奪回のために始めた政治闘争である。

毛沢東は、1960年代頃までに自らが推進した大躍進政策が大失敗し、共産党内での主導権を失った。毛沢東に代わってケ小平たち(実権派という)が共産主義の原則をこだわらない柔軟な経済政策を打ち出して主導権を握っていた。
この状況に対して毛沢東は、実権派から党内の主導権を取り戻すため、腹心の林彪や江青を使って、実権派に対する攻撃を始めた。
林彪は、「実権派は資本主義的な路線へ走っており、明らかに反革命的・反党的である。これを正して党内の主導権を取り戻すためには大衆全体が立ち上がらなければならない」として「文化大革命」を宣言した。
これを受けて、毛沢東を信奉する学生が中心となって紅衛兵を組織し、彼らが中心となり暴力的な運動が始まった。ケ小平や劉少奇らは党を除名され、失脚する。(ケ小平は後に復権、劉少奇は獄死)

全国各地の資本家や富農、医師・学者などの知識人などが、「反革命的、資本主義的」としてつるし上げの対象となり、おびただしい数の人々が反動分子として虐殺された。犠牲者は2000〜5000万人以上といわれているが実際の数ははっきりしない。この恐怖政治下では、国民は完全に思想言論の自由を奪われていた(現在も同じだが)。

要するに、党の主導権を争うための権力闘争だったというだけの話である。「文化大革命」などという美名で呼ばれているが、実態はスターリンの大粛清に勝るとも劣らない大殺戮だった。

この時期、朝日新聞以外の日本の新聞社の特派員はすべて支那から追放された。「人民日報」「北京放送」で発表される一方的な毛沢東・文化大革命礼讃記事以外の記事を書いたからという理由だった。

  反右派闘争
  大躍進
  六・四天安門虐殺(事件)


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参考文献 歴史年表