ニクソン・ショック

1971年にアメリカのニクソン政権が電撃的に発表した2つの大きな方針転換。
ひとつは、1971年8月の金とドルの交換停止を含む一連のドル防衛策のこと。もうひとつは、そのちょうど1ヶ月前に、大統領のニクソンが支那(中華人民共和国)を訪問すると発表したことである。

ニクソンは支那を訪問することにより、全世界に向けてアメリカの対支那政策大転換の意思表示をしたわけだが、それによる米中緊張緩和を受けて実現したのが、日本と支那の国交回復(日中共同宣言)だった。

その1ヵ月後に、アメリカは金とドルの交換停止など、はっきりとしたドル防衛政策を打ち出した。その12日後に、水田蔵相が記者会見で、日本は固定相場制を放棄することを明言した。これで戦後の固定相場制は終わり、1ドル=360円の時代が終わった。
このアメリカのドル防衛政策は、当初は、主要通貨の対ドル・レートを切り下げることによりアメリカの国際収支の赤字を改善しようというものだった。しかし、ニクソンの発表により各国の外国為替市場がドル売り一色になったため、多くの国が一時的に外国為替市場を閉鎖してしまったため、アメリカの思惑は実現しなかった。ところが主要先進国で日本だけが外国為替市場を閉鎖しなかった。そのため日本は莫大な損失を被ってしまった。これは明らかに大蔵省に責任だったが、その責任は誰も取らずにうやむやにされた。
それでも日本は民間人の血のにじむような努力でこの被害から立ち直ることができた。

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参考文献 歴史年表