細川護煕「侵略戦争」発言(1993年8月)

平成5年(1993)、自民党政権が倒れ、非自民六党連立与党で誕生した内閣の首相となった細川護煕(もりひろ)は、8月10日の記者会見で、大東亜戦争について「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」というとんでもない発言をしてしまった。

また、8月23日に行われた国会の所信表明でも「わが国の侵略行為や植民地支配などが、多くの耐え難い苦しみと悲しみをもたらした」という暴言を繰り返してしまった。

日本の総理が国政の場で「大東亜戦争は侵略戦争で、日本は侵略国だ」と断定したのは、戦後、細川護煕が初めてである。支那や朝鮮をはじめ、近隣諸国や欧米各国から戦後、大東亜戦争は侵略戦争だと決め付けられても細川以前の歴代総理は、頑として認めなかった、少なくとも国益を損なうことがわかっていたのである。
一国の総理が侵略戦争をやったと認めるというのは決定的な意味を持っている。パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)で「その国が侵略戦争と認めれば侵略戦争、自衛戦争と認めれば自衛戦争」と決められていたからである。
日本の総理が過去の戦争は侵略戦争で日本は侵略国と断じたのだ。諸外国は戦争責任を追及し、賠償金を要求できる。はたして、細川のこの暴言の翌月、来日したメージャー・イギリス首相は「捕虜となったイギリス人に日本政府は補償すべきだ」と言い出した。これに対して細川は、「何らかの形で償います」などととんでもない返答をしてしまった。この後は、支那、朝鮮はもちろん、オランダ、アメリカからも「謝罪しろ」「賠償しろ」「補償しろ」という声が噴出した。

細川は11月に韓国を訪問した際、「わが国の植民地支配によって、朝鮮半島の方々が、母国語教育の機会を奪われたり、生命を日本式に改名させられたり、従軍慰安婦、徴用などで、耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことに加害者として心より反省し陳謝したい」などとありもしない事を羅列してわびてしまった。(参照:創氏改名「従軍」慰安婦

祖国を贖罪賠償国家に転落させた細川護煕の罪は、歴代首相の中でも最も重い。

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参考文献 歴史年表