東京裁判史観

いくつかの本から「東京裁判史観」の定義を引用すると、
  • 東京裁判の)裁判所の下した判決の内容はすべて正しく、満州事変にはじまり、大東亜戦争に終わった、日本が関係した各種事件、事変、戦争は、すべて日本が東アジアおよび南方諸地域を略取し、支配しようとした、被告たちの共同謀議に基づく侵略戦争であって、戦前、戦中の日本のなした各種行為、行動はすべて「悪」であった。
  • 日本が支那を侵略したために、太平洋戦争に突入したなどという歴史観。まさにアメリカの占領政策によって植えつけられた誤った史観。自己否定、卑屈、盲従、無定見をもたらす精神構造のこと。今最大の問題となっている日本人の精神の荒廃は、東京裁判で始まっているといえる。
  • 昭和3(1928)年以降の日本国の対外政策・外交方針は一口に言って侵略的であり、道義にもとるものである。武力行使を発動したときには、常に国際法で言うところの戦争犯罪を伴っていた。
この史観を信奉する日本人は以下の二つのタイプに分類できる
  • この東京裁判史観信奉の立場に立ってものを言い、あるいは文章を書くほうが、自己の保身のため、あるいは処世術として自分にとって有利であり、好都合であるという風に考えて、この史観信奉の立場に立つ輩、すなわち、いわゆる進歩的文化人、一部の学者、評論家、作家、マスコミ
  • 東京裁判についてはほとんど何も知らないけど、有名な学者や評論家たちが、あの判決は正しいと言っているから、きっと正しいに違いないと考えて、判決内容をそのまま信じ、その結果、東京裁判史観信奉の立場に立つ一般人

反日日本人、自虐史観派は「教科書で特定の政治勢力や宗教を攻撃したり、他民族を蔑視したりしてはいけない。ナショナリズムやイデオロギーを強調してはいけない」などと主張しているが、彼らは国粋的な支那や朝鮮の教科書は絶対に批判しない。こいつらは要するに支那や朝鮮の工作員と同じことをやっているというだけの話なのである。

ちなみに、支那や朝鮮では自虐史観を持つ学者は少なくとも社会的には存在しない。そんなことをすれば殺されるからである。日本は恵まれた国である。

この東京裁判史観は、日本の初等・中等教育における教育方針、教科書の編集、記述方針を完全に支配してしまった。この史観が教育界を支配してしまったのは昭和24、5年の頃で、日教組が教育界を支配していった趨勢とほぼ並行している。教科書作成のガイドラインである「学習指導要領」という文書が、日教組の巧妙な浸透によって彼らの思い通りに策定されるという形でこの勢いが進行してしまった。

この史観には講座派史観が取り入れられている。いずれも「自虐史観」の典型である。

自虐史観
講座派史観
階級闘争史観

戦後、日本人の考え方、あるいは歴史観を歪曲した最大の原因として「東京裁判」とその判決文に示された日本悪玉論があった。判決書の中で最後に主文が書いてあり、大誰を絞首刑にするなどと書いてある。その前にその理由が書いてあり、そこに連合国側に都合のよい歴史観が書いてある。日本はかくかくの悪いことばかりした。たとえば、南京大虐殺など、と。

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参考文献 歴史年表