フェートン号事件(1808年)

オランダはヨーロッパでのナポレオン戦争を機にフランスに支配されてしまった。それに対してイギリスはオランダの東洋各地の拠点を攻撃し、日本でも長崎の出島の占領を図った。イギリスはフランスは戦争状態にあり、フランス側に属していたオランダの東洋各地の拠点を獲得しようとしたのだ。
1808年、イギリス軍艦フェートン号はオランダ国旗を掲げて長崎に入港した。オランダ商館員を脅し、人質にして乱暴を働いた。
このため長崎奉行は引責自殺した。
この事件は、日本人にイギリスの横暴さを認識させ、さらに広く海外情勢に注意を向けさせることになった。以後日本ではフランス革命やナポレオンに関する研究が盛んになった。
こののち、フランスのナポレオンがロシアへの遠征を開始すると、日本とロシアの緊張はゆるんだが、このように日本はヨーロッパの国際情勢の変化に影響されるようになったのである。

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参考文献 歴史年表