薩長同盟

文久3年(1863)、江戸幕府は諸藩を指揮して長州征伐を行ない、長州藩を降伏させた。しかし、高杉晋作が幕府に屈服した反政府に反乱を起こし、木戸孝允らとともに藩の主導権を奪い返し、長州藩は再び幕府批判の立場に転じた。
一方、薩摩藩でも、大久保利通西郷隆盛らが藩政の実権を握り、薩英戦争の経験から攘夷を一時棚上げして軍備の強化に努めた。そして江戸幕府と対決する姿勢を強めていった。
慶応2年(1866)、土佐藩出身の坂本龍馬は、外国に対抗できる強力な統一国家をつくる必要を説き、それまで反目していた薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允を引き合わせて同盟を結び、両藩が提携して倒幕を目指すことを密約させた。こうして尊王攘夷運動は討幕運動へと変化していった。

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