ハワイ併合(1998年)

アメリカは1872年にホノルル港を軍事目的で調査し、真珠湾の軍事的価値の大きいことを知った。そして真珠湾の割譲をハワイ政府に要求したが、ハワイ島民の反対で交渉は失敗した。ところがアメリカはハワイに圧力を加え、1875年に結んだ米布互恵条約によって真珠湾の使用、改築、施設建設の権利を得る。その後、1998年にはアメリカはハワイを強奪してしまったのである。

1981年、世界歴訪の途上にあったハワイ国王カラカワが来日した。カラカワ国王は密かに明治天皇を訪問し、懇談した。カラカワ国王は近年、ハワイでポリネシア原民が減少し白人が増加し、白人にハワイを強奪されることを懸念し、日本に助けを求めた。王姪カイウラニに王位を継がせるつもりで、山階宮定麿親王との結婚を許可して欲しいと依頼した。国王はアメリカのハワイ強奪を恐れ、日本皇室とハワイ王室の縁組によってハワイ併合を阻止しようと考えたのだ。
明治天皇は慎重に考慮したが、翌年、特使を派遣してこの縁組を断った。外国王室との縁組が日本皇室の慣例にないこと、また、日本にはアメリカと戦う力がなく見殺しにするより仕方がなかった。
ハワイ国王の失望は大きかった。もし縁談が成立していたらハワイが日本領土となり、その後の日米関係はまったく違うものとなっていただろう。当時、白人よりも日本人移民のほうがはるかに多かったので本来なら日本領土となっていたのである。

1993年、アメリカは軍艦ボストン号から150名の海兵隊を上陸させ、ハワイ政庁を奪取し、王制を廃止した。ハワイ王国は軍隊がなかったのでたったの150人に征服されてしまった。それから5年後の1998年、アメリカはハワイを併合した。

カラカワ国王は大アジア主義を提唱していたことは注目に値する。

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参考文献 歴史年表