ボーア戦争

アフリカの南端、現在の南アフリカには、今から250年ほど前にオランダ人が入植した。彼ら入植白人は、「自分たちこそ真のアフリカ人だ」などとぬかし、アフリカーナーと自称した。イギリス人は彼らをボーア人(オランダ語で「百姓」という意味)と呼んだ。
このオランダ植民地は1795年にあとからやってきたイギリス人によって武力で奪い取られてしまった。イギリスの支配を嫌ったオランダ人は北上してアフリカ先住民の土地を勝手に占領し、トランスバール共和国とオレンジ自由国を樹立した。その後、これらの国からダイヤモンドや金が発見されると、それをかっさらおうと考えたイギリスは自国民を大量に送り込み、乗っ取りを図ったため1899年に戦争となった(イギリスはボーア戦争と呼び、オランダはイギリス戦争と呼ぶ)。
ボーア人は1902年まで善戦したがイギリスに降伏し、イギリスは自国の自治領・南アフリカ共和国に併合した。その結果、アフリカーナーの多くは極貧層に転落したが、今度は敵だったイギリス人と協調してアフリカ黒人の徹底的な収奪を通して貧困からの脱出を図った。これが悪名高き「アパルトヘイト」である。
アパルトヘイトはアフリカーンス語で「分かれている状態」という意味で、白人と黒人を完全に隔離するということである。もともと黒人の住んでいた土地に勝手にやってきて別々に住もうという超自分勝手な行為である。
現在、南アフリカの黒人は2500万人、白人は500万人、そのうちアフリカーナーは60パーセントの300万人である。平均賃金は白人100に対して黒人25である。わずか五分の一の白人が全国の90パーセントの土地を押さえ、四分の一の賃金で五分の四の黒人を働かせている。
第二次世界大戦後アフリカ諸民族は次々に独立したが、南アフリカのみは人種差別のアパルトヘイト政策を確立した。
国際世論の激しい非難により、白人政権が長年投獄していたマンデラを釈放して、アパルトヘイトの廃止に踏み切ったのは1990年のことだった。

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