スターリン、ロシア共産党書記長就任

スターリンは専制的支配者として、ジンギスカン、イワン皇帝をはじめ史上のいかなる先生者をも凌いでおり、これ以上凶悪無慈悲な指導者はかつて世界に存在しなかった。

大正11年(1922)、スターリンはロシア共産党書記長に就任した。大正13年(1924)にレーニンが死んだ後、スターリンの権力はさらに強まり、1927年にはトロツキーを党から除名し追放。こうして1930年代の初めには、スターリンの権力は絶頂に達した。

スターリンは1929年、農業集団化計画を開始し、悲惨を引き起こした。圧倒的多数の農民は反対したが、GPUの部隊によって容赦なく弾圧された。抵抗する農民が大量処刑され、1928年に処刑された富農の数は家族を含めて585万9000人に上った。
農業国家ソ連を工業国家にしようとしたスターリンは二次に渡って5ヵ年計画を強行した。この5ヶ年計画は結局ソ連の軍国主義化に奉仕するものでしかなかった。
ソ連政府は国民の目を欺くため、戦争が近づいていると宣伝し、1931年まではイギリスとフランスを、昭和8〜9年(1933〜34)の冬には日本を仮想侵略国に仕立て上げ、日本が極東ソ連領への侵略を企画しているとして激烈に非難した。

そしてスターリンは1930年代後半に、20世紀に人類が知った最も忌わしい殺戮である大粛清に取りかかる。

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