満洲事変の後、アメリカの国務長官ヘンリー・スチムソンは以下のような内容の覚書を日本と支那に手交した。
これは大正4年(1915)のいわゆる「対華21ヶ条」問題におけるブライアンの不承認主義を継承するものだった。 「対華21ヶ条」の要求(1915年) ブライアン不承認主義(1915年) これ以降、事変をめぐって日米関係は悪化していく。 アメリカが中南米でどんなに悪辣なことをやろうと日本は口出ししないのに、アメリカは日本が隣国でやることに口出し続けたのである。 アメリカがアジアのことに口を出さなければ支那事変も起こらなかったし、満州国は繁栄し、満州族とともに支那人も同化して栄えたことは間違いない。 |
参考文献 | 歴史年表 |