ドイツ攻撃(1941年9月〜)

日本で近衛内閣が崩壊し、東條内閣が対米交渉に向けて努力しつつあった昭和16年(1941)9月から10月にかけての頃、アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトは対独参戦の意図をますます露骨に現わしつつあり、独米は事実上、大西洋で交戦状態に入ったも同然だった。

独米の敵対関係を象徴するものは、9月4日、大西洋でアメリカ駆逐艦グリーザ号がドイツ潜水艦に攻撃されたという事件であった。だが、ドイツが意図的に攻撃を仕掛けたとのルーズベルトの説明に疑問を抱いた上院海軍委員会が事件についての公聴会を準備し、スターク海軍作戦部長の報告を求めた結果、先に攻撃したのはアメリカ側であったことがわかった。
6週間後の10月17日、またもやアメリカ軍艦カーニー号がドイツ潜水艦から攻撃を受けたという事件が発生した。ルーズベルトは「アメリカは攻撃された」と国民に訴え、反独世論を扇動するのに努めたが、事件の真相が漏えいするにつれ、カーニー号は魚雷攻撃を受ける前にすでに3時間近く、一群の潜水艦と交戦していた事実が明白になった。その後も大西洋でいくつかの発砲・撃沈事件が発生したが、もはや「アメリカは攻撃された」という言葉は精彩を失ってしまった。

他方ルーズベルトは大西洋での連合国援助を強化するため、中立法改正を企てた。




ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください
参考文献 歴史年表