ガダルカナル戦

昭和17年8月。
この時点でもまだ日本の海軍力はアメリカの太平洋の海軍力に対して優位にあった。アメリカの魚雷は粗末だった。しかし、日本の艦艇が発射した魚雷が敵艦に当たらずに砂浜に乗り上げたのをアメリカは回収し、それを元に改良を加えた。アメリカの魚雷が威力を発揮するのはこの戦い以後である。
したがって、ガダルカナル戦当時、アメリカ海軍はたいした脅威ではなかった。戦艦大和を投入していたらアメリカ海軍は蹴散らされて補給路を確保できず、ガダルカナル島に上陸したアメリカ軍は疲弊し、降参したはずである。
しかし、戦艦大和は出て行かず、そのうち、ラバウル航空隊は消耗してつぶれ、昭和18年2月には撤退を余儀なくされる羽目に陥った。
またもや日本の連合艦隊司令長官の山本五十六は大失態を演じた。
こんな大失態を演じたにもかかわらず、機動部隊司令長官も連合艦隊参謀長も失脚すらしなかった。日本の官僚の無責任は今に至るまでまったく変わっていない。

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参考文献 歴史年表