「戦時中、日本兵は、アメリカ兵捕虜を虐待した」などと叫んでいる者があきれたことに日本でも後を絶たないが、実態は完全に逆である。確かに日本兵の一部には捕虜に対して残忍な行いをした者がゼロだったとはいえないかもしれないが、ほとんどは国際協約に則って、自分たちの分を減らして乏しい食料を配給し、アメリカ兵捕虜に分け与えていたのだ。 チャールズ・リンドバーグは、1927(昭和2)年に、大西洋横断の単独無着陸飛行に史上初めて成功した人である。彼は第二次世界大戦中、空軍の顧問として太平洋各地を回ったが、そのときの日記の中に再三にわたって書かれているのは「アメリカ軍は日本兵を捕虜にしない」ということへの嘆きである。この日記にはアメリカ軍の日本兵捕虜に対する目を覆わんばかりの残虐行為が赤裸々に描かれている。 「わが軍の兵士たちは日本兵の捕虜や投降しようとしているものを射殺することを何とも思っていない。彼らは日本人を動物以下のものとして取り扱い、それらの行為がほとんどみんなから大目に見られている」 ニューギニアでは2000人ほどの日本兵捕虜に機関銃が乱射された。 「ジャップの病院を占領したときには、病院に生存者を一人も残さなかった」。 捕虜として投降してきた者は即座に射殺、そのため日本人同胞は投降もままならず、ジャングルの中で飢えに苦しみぬいて死んでいった。日本人の死体は切り刻まれた。金歯を抜き取る者、面白半分に耳や鼻を切り取り、乾燥させて本国に持ち帰る者、大たい骨を持ち帰り、それでペンホルダーやペーパーナイフを作る者さえいた。 リンドバーグは「わが国民が拷問で敵を殺し、その遺体を爆弾穴に投げ込んで、その上に生ゴミを投げ捨てるほどに堕落しているとは、吐き気をもよおす」と同胞達の日本兵に対する虐待を嘆いている。 「ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋で日本人に行ってきたのである。・・・地球上の片側で行われた蛮行はその反対側で行われていても、蛮行であることには変わりがない。『汝ら人を裁くな。裁かれざらん偽りなり』。この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない。あらゆる諸国民に恥辱と荒廃とをもたらしたのだ」 より詳細に書かれたホームページ。 |
参考文献 | 歴史年表 |