昭和47年(1972)月9月、日本の首相の田中角栄が支那(中華人民共和国)を訪問し、中華人民共和国と国交を樹立し、中華人民共和国を支那の正当な政府と認めた。 このときの「日中共同声明」で、支那(中華人民共和国)は戦争賠償の請求を放棄した。といっても支那共産党は支那大陸で没収した日本資産を手に入れたので莫大な賠償金を得たに等しい。 このとき日本政府は支那(中華人民共和国)に経済援助を約束し、平成15年(1993)までの24年間で、ODA累計は3兆3334億円というとてつもない額に達した。その他に旧日本輸出入銀行の資金供与がODAに匹敵するほどの3兆3000億円に上る。これは旧日本輸出入銀行と外務省の管轄で対支那外交の枠組みの外にある。 支那共産党はこれらの日本の援助を支那国民にまったく知らせていないどころか、反日教育に力をいれ、軍備増強にこらら資金をつぎ込み、他のアジア諸国やロシアにまで資金援助している。 いずれにしろこれによって国家間の交渉においては過去のことを持ち出す必要はなくなった。 「内政相互不干渉」が明記されている。 |
参考文献 | 歴史年表に戻る |