毛沢東親衛隊の指導を受けたクメール・ルージュのポル・ポト派は、1975年にカンボジアの首都プノンペンを制圧すると、都市住民をことごとく農村への強制移住させた。そして貨幣のいらない理想的原始共産社会を作ると称し、邪魔になる知識層の殺害を開始した。ポル・ポトは毛沢東の最も忠実で実行力ある弟子だった。カンボジアの人口800万人のうち、約250万人を殺戮した。 この大虐殺を支那共産党政府が背後で指導していたことが世界に知られると、支那は突如として日本軍の南京大虐殺説を持ち出した。終戦から三十年後のことである。 ポル・ポト支配下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡のこと「キリング・フィールド」という。 |
参考文献 | 歴史年表 |