日中平和友好条約(1978年)

「内政相互不干渉」が明記されている。

この時の首相は福田赳夫であった。こいつは全方位外交という、この世にないような愚かな外交を主張した。そしてこの条約を結び、それをきっかけに大々的なODAが支那に与えられていくことになった。
その時、尖閣諸島には200沿うぐらいの支那の船が押し寄せた。それは全部武装していた。
その時日本政府は何と言ったか。
「あれは軍が勝手にやった可能性がある。中国政府とは関係がなかったんだ」
こういって支那を二つに分けようとする。われわれとテーブルについて紳士的に話をしている人たちはいい支那人であって、軍部には悪いのがいる。軍部は時々暴走するけど、今目の前にいる文民の責任ではないという。支那を一体化して見ようとしない。しかし、その支那と平和友好条約を結び、巨額のODAを与え、そのODAが支那の巨大な軍事の基盤になってきた。
総合的に見ることもせず、自分たちが見たい象だけを見る。本当はこの人たちは平和を望んでいるんだ、悪いのは私たちだけなんだという思い込みで、日本は国際社会を見すぎていた。その傾向が今でも強いのが、朝鮮半島、そして支那に対してである。

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参考文献 歴史年表