アベック蒸発事件

昭和55年(1980)1月に産経新聞が「アベック蒸発事件」を報道した。
前年(昭和54年)に、日本海でアベック3組が蒸発し、1組が何者かに連れて行かれそうになった未遂事件が起こっていた。産経新聞で3日続けて報道されたが、他のマスコミは虚報として報道しなかった。
その後昭和62年(1987)11月、大韓航空爆破事件の犯人、金賢姫が、田口八重子さん(朝鮮名:李恩恵)が北朝鮮工作員に拉致されたことを告白。梶山国家公安委員長が拉致事件に北朝鮮の関与があったとの発言をした。このときの発言を報道したのは産経新聞と日経新聞だけだった。
平成2年(1990)、金丸信と田辺誠らが北朝鮮を訪問し、金日正と会談し、日朝国交正常化交渉が始まった。しかし、平成4年(1992)、日本側が「李恩恵」の調査を要求したため交渉は中断した。
平成9年(1997)には、一部マスコミが横田めぐみさん拉致事件を初めて実名で報道し、西村眞悟議員が国会で自国民保護に取り組むよう要請し、警視庁が拉致疑惑を7件10人と発表した。
しかしその後、被害者家族の懸命の努力にもかかわらず、多くの外交官、政治家、マスコミは冷淡に黙殺し続けた。重大発言はこちらに列挙。

その一方で、日本政府は馬鹿らしいことに北朝鮮にコメ支援を続けてきた。何の見返りもなしに。

ブラウザを閉じてください。