プラザ合意

昭和60年(1985)9月、日本、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスの蔵相が、ニューヨークのプラザホテルに密かに集まり、問題となっていたドル高を是正するための方策を協議し、先進五ヶ国で為替市場に協調介入する旨の声明を発表した。
その結果、非常に短期間に円がドルに対して二倍近くまで切り上げられた。プラザ合意により日本は国際社会から超円高を押し付けられたわけだ。これによりアメリカをはじめとする先進諸国は日本の輸出産業のさらなる発展を妨害することに成功した。
このとき、日本経済は円高不況、輸出産業の壊滅が心配された。しかし、民間人の血のにじむようなたいへんな努力によりこの危機を見事に克服した。
円がドルに対して二倍近くに跳ね上がっても輸出はさほど落ちず、対米貿易黒字もそれほど減らず、貿易収支もよい状態を続けた。しかし、これがバブルを生む原因となった。

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