中曽根内閣の文部大臣であった藤尾正行文部大臣が月刊誌の対談で、「日韓併合は韓国側にもいくらかの責任がある」と発言したことを受け、即座に更迭した。 当時は「村山談話」(1995年)はもちろんまだなく、今ほど支那や朝鮮がうるさく口を出すこともなかった。自民党は単独で大きな過半数を有し、他方で冷戦が続いていたので日米関係も無風で、むしろ首相の中曽根は日米緊密化の先頭に立っていた。そのような自民党内閣があえて文部大臣更迭という思い切ったことをやってしまった。 歴史発言での罷免、という藤尾文相更迭は、事実上、戦後はじめての出来事だった。 中曽根内閣以後、日本は落ち着いて歴史の真実を再検証するのではなく、角に贖罪意識だけが強くなっていった。こういう歴史観の偏向が昭和60年以後、自民党政権の中で急速に強まったために、それから十年後にとうとう「村山談話」のようなものが出てきたのである。 |
参考文献 | 歴史年表 |