「首相になったら毎年8月15日に靖国神社に参拝する」という公約を掲げて首相になった小泉純一郎は、公約を無視して、平成13年(2001)8月13日に前倒し参拝を行なった。朝日新聞や公明党や自民党内にいる山崎拓・加藤紘一らの反日勢力の妨害工作で信念を曲げたわけだ。またまた支那・朝鮮の内政干渉に屈してしまった(支那・朝鮮は「15日だけは駄目だ」と命令していた)。 (ちなみに現職首相の靖国参拝は、橋本龍太郎が支那の抗議で予定していた秋の参拝を中止し、テメエの誕生日に11年ぶりに公私の別を明らかにせず挙行した1996年以来5年ぶりのことだった。) 参拝直前には官房長官の福田康夫は馬鹿げたことに「アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」との1995年8月の村山談話を踏まえた認識を表明し、その後、支那と韓国に土下座外交行脚に行ってしまった。 山崎拓はその後、東南アジアに靖国参拝の釈明のたびに出たがインドネシアでもタイでも相手にされなかった。華僑の多いシンガポールでも「近隣諸国とうまくやってくれ」と言われただけで、カンボジアのフン・セン首相からは「戦没者の霊を弔うのは当然のこと」とたしなめられた。 東南アジアで日本の戦争を非難する声があるという場合は、それは東南アジアに進出した支那人(華僑)の証言である。華僑系の学校では支那や朝鮮同様、日本は悪だと教育されている。 こういったことがいかに英霊や遺族を踏みにじることになるのか、小泉には全然わからなかった。ただひたすら事なかれ主義だけだった。 小泉は翌平成14年には4月21日(これは例大祭の初日)に突然参拝。翌日朝日新聞は例によってお決まりの支那と朝鮮からの非難の声を載せていた。そもそも靖国参拝問題は朝日新聞が作ったものだ。その日のテレビは反日コメンテーターばかり登場させて「新しい慰霊施設を作れ」のオンパレードだった。 平成15年は1月14日に靖国神社に参拝し、平成16年には1月1日に「初詣」で参拝。やっと8月15日に参拝した。 公約など知らんぷりを通した。 参拝理由を聞かれた(こういう質問をする馬鹿なマスコミがいまだにいる)小泉は、「心ならずも戦場に赴き、亡くなられた方への哀悼の誠を捧げ、不戦の誓いをするということで参拝した」という決まり文句を繰り返した。ばかげたことを言ったものだ。 小泉は「A級戦犯は戦争犯罪人であるという認識をしている」と無知をさらけ出し、東京裁判史観を信じきってしまっている。 ちなみに、平成13(2001)年7月、外務大臣だった田中真紀子は支那の外相に小泉の靖国参拝をゲンメイされ、それを素直にそのまま小泉に伝えるという馬鹿丸出しの行為を行なっている。 |
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