白人の征服の手口

近世500年は、白人は世界中の有色人種の土地を侵略し征服しまくったわけだが、その手口は汚かった。
白人征服者たちは、まず鉄砲と十字架をもって上陸、まず小高い岡に十字架を立て、神の名によってこの地を白人本国国王の土地と宣言した。現地の人々の宝物を奪い、反抗する者は鉄砲で容赦なく殺した。こうして自分たちの領土としたのである。このやり方で小さな島々だけでなく、広大な南北アメリカ大陸、オーストラリア大陸、ニュージーランド、アフリカ大陸も白人の支配地に組み入れてしまった。

しかし、インド、支那、日本などは16世紀には白人に寄港地や居留地を許した程度であるのに、なぜアフリカ大陸、南北アメリカ大陸、フィリピンなどはさしたる抵抗もなく武力制圧され、完全支配を許したのであろうか。これは原住民の文化と歴史の厚みの差、宗教的発展段階の違い、日本や支那における宗教に対する政治の優位、西欧に届いていた東アジア文明優越の情報、インドから東南アジアへかけてのイスラム勢力の壁などが考えられるが、それよりも軍事的抵抗力であった。日本と支那は十九世紀初頭まで西洋を寄せ付けなかった。
ポルトガルとスペインは、日本と支那の武力征服を企てていた。ただ、支那のほうが征服しやすく、日本は手ごわいとみていた。
宣教師は熱心に支那征服の容易なる所以を本国政府に説いたが、たとえばスペイン国王フェリペ二世は慎重策を命じた。

特に北米大陸とオーストラリアは、大昔から住んでいた原住民を抹殺して、ヨーロッパ白人だけの占有地にしてしまった。なかでも「白豪主義」ほど身勝手な宣言はなかった。

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参考文献 歴史年表