日露戦争の世界史的意義

白人による全世界のアパルトヘイト化が、白人のアメリカ到達の後400年にして挫折した、20世紀最大の重大事件であった。
白人の帝国主義に苦しむアジア始め世界の諸国を覚醒・奮起させ、民族独立への希望と勇気を与えた。アジアではベトナムのホーチミン、インドのネール、支那の蒋介石と毛沢東も日露戦争で大きな感銘を受けている。

  日露戦争
  日露戦争に関する発言など

結果的に、日露戦争以後、白人の植民地は一つも増えていない

しかしながら、白人に与えたショックはきわめて大きかったアメリカは日露戦争後、日本に対して警戒心を持つようになり、次第に反日政策を取るようになる。20世紀に入ると日本人移民に制限を加えるようになり、白人諸国に黄禍論が高まっていった。

  アメリカの排日の歴史

世界的意義については以下の三点を挙げることができる。

第一は、黄色人種の白色人種に対する勝利であり、非キリスト教徒の国がキリスト教徒の国に勝ったこと。
日本が勝つと、アラブの人々は「明治天皇をカリフ(回教徒の盟主)にしよう」と考え、メッカで開催された宗教指導者会議で、明治天皇をカリフにすることを決めた。この連携は代々木に回教徒寺院を建設した程度だったが、キリスト教と・白色人種の圧迫にアラブ人が日本人をリーダーとして立ち上がろうとしたのである。

第二は、日本の勝利が、ロシアに共産主義革命を起こさせる導火線となり、一党独裁のソ連邦社会主義共和国を誕生させたこと。
旅順の降伏でロシア国民は、世界一と考えられていた陸軍が「子猿」と軽視していた日本軍に敗北したことを知り、皇帝への批判が高まった。旅順でロシア軍が降伏した三週間後には、首都サンクトペテルブルグで工程に食料や燃料の不足を誓願しようとした市民が警備兵に撃たれ、多数の死者を出す「血の日曜日事件」が起こり、これを契機に17年後には世界で最初の共産党が支配する独裁国家を誕生させた。

第三は、世界の人々は日本が勝てた理由を分析し、それは強い愛国心であり、武士道にあると考えたこと。
この武士道から自立心、犠牲的精神や愛国心を学んだアジア、アラブ、アフリカなどの指導者は、身を犠牲にして民族独立運動の先頭に立った。

イギリスのタイムズ社が1908年ごろに刊行した「歴史家の歴史」に、「日露戦争以後は、これまでのように白人が勝手に植民地をケーキのように分けることは不可能になった」と書かれている。

支那への影響
長い間ロシアにいじめられ続けていた支那では日露戦争後に日本への留学熱が高まり、1905年には留学生は1万2千名にも達した。支那は隋の時代から千年以上も続いた科挙の制度をやめた。日本への留学生が通った大学の格と留学期間を参考にして役人に採用するようになった。

  科挙廃止

いかに支那が日本から近代文明を取り入れたかは、現在でも支那語として使われている選挙、電気、憲法、物理、化学、経済、金融などの言葉からも理解できる。孫文は留学を通じて啓蒙された青年たちを率いて辛亥革命を実現した。

  辛亥革命


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参考文献 歴史年表