「対華21ヶ条の要求」と日華条約

ロシアの脅威は依然として消えていなかった。また、アメリカ国務長官のノックスは「全満洲鉄道の中立化案(明治42年(1909)」などにより日本の満州における権益を脅かした。日本は資源に乏しく、満洲・支那の原料は死活的に重要だった。

日本は、第一次欧州(世界)大戦中、英国などの再三の要請により対独参戦し、旧ドイツ領の青島(支那・山東省)を占領した。これに対して支那(国民党の袁世凱政府)は日本に青島からの撤退を求めたため、日本はその利益の代償を求めた。日本は14ヶ条の「要求」と7ヶ条の「希望」、計21ヶ条の承諾を支那政府に要求した。この21ヶ条は孫文の日中盟約案を原案として作成されたものである(袁世凱と対立していた孫文は革命支援を得るため利権譲渡の密約「日中盟約」を結んでいた)。
袁世凱政府は米英等に連絡して日本に圧力をかけさせるため、交渉の引き伸ばしを図った。4ヶ月にわたる困難な交渉の末、最初の21ヶ条に修正を加えた16ヶ条を支那側が受諾し、「日華条約」として調印された。
主な内容は以下の通り。

  • ドイツに与えていた山東省の権益を日本に引き継ぐ
  • 旅順・大連租借と満鉄等の租借期限延長
  • 満洲・蒙古での日本人の居住営業・土地所有
  • 鉄鉱石輸出・石炭輸入
  • 支那沿岸を他国に譲渡しないこと

これは支那侵略の代名詞のように言われるが、決してそんなものではない。これは簡単に言うと、日本がポーツマス条約日清戦争日露戦争で得た満州における権益というものが、支那の排日とアメリカ、イギリスの介入で非常に不安定になっていた。
その不安定になっていた日本の権益を、なんとか確固たらしめようとして、第一次世界大戦列強の目が一斉にヨーロッパに向かっているときに、支那に対してそれを確固とするための要求を突きつけたのが「21ヶ条要求」である。決して特に新しい権益を要求したものとは言えない。満州の日本の権益が不安定であったこと、これが「21ヶ条の要求」の背景だった。このときに日本は領土権も駐兵権も要求していない。つまり、日本はいわば日本の国家的膨張や安全というよりは、日本人が生存していくための権益を確固たらしめようとしただけである。日本人は大体において領土的な欲求の少ない民族だが、国土と資源の貧弱な国だから、他国のおいて日本人が生きるための権益を要求することはあった。「21ヶ条要求」もそうで、ただ日本人が生きていくために、南満州で土地を借りたり、それから商工業や農業を営む、あるいは旅行をする、生活をする、そういう権益。それから満鉄の租借期間を99カ年に延長する。遼東半島の租借権も99カ年に延長する。こういう要求をしたのが「21カ条の要求(実際には14ヶ条の「要求」と7ヶ条の「希望」)」で、さほどあくどいものではなかった。これらはそれ以前に欧米列強が持っていた権益よりも温和なもので、ごく適切な要求だった。当時このような条約は珍しくなく、イギリス、フランス、ロシアは、要求の内容は妥当だとして干渉を控えている。
そこへ猛烈な非難攻撃を繰り広げたのがアメリカだった。アメリカ政府はここぞとばかりに支那支援を表明し、アメリカ系の新聞も、こぞって日本を非難した
また、袁世凱政府も合意した内容を歪曲誇張して内外に宣伝した。袁世凱政府が歪曲して宣伝した内容は以下のようなものだった。
  • 南満州の警察と行政権を日本に譲渡
  • 支那陸海軍は必ず日本人を教官とする
  • 支那の学校では必ず日本語を教える
  • 支那に内乱がある場合は日本に武力援助を求める
  • 支那の石油特権を譲与する
  • 支那全部を解放し日本人に自由に営業させる
以上のように日華条約で合意した内容とはまったく関係ない捏造だった。そもそも、「21ヶ条の要求」などという呼称自体が、袁世凱政権が誇大宣伝のため創作したものである。

結局、アメリカは支那と組んで「日本が21もの不当な要求を第一次世界大戦のどさくさにまぎれて支那にしぶしぶ受諾させた」という印象を世界中に植え付けることに成功した。このプロパガンダには支那にいるアメリカの宣教師も加担していた。

さらに悪質なことに、袁世凱政府は日華条約調印直後に、「日本人に土地を貸した者は死刑」という条例を交付した。これは国際条約の調印と同時に、法令をもって条約の履行を妨害するもので、恐るべき背信行為である。

合意された16ヶ条は、アメリカの策略の一つであるワシントン会議により、日本は山東省の権益を返還、満蒙での鉄道に関する優先権を放棄、「希望条項」も全面撤回させられ、残存は10か条のみになる。

  ワシントン会議(1921、22年)

支那の誇張・虚偽によるプロパガンダは戦後になっても続き、常に反日・侮日により支那人や支那に支配された民族の目を外国に、特に日本に向けさせている。これは現在もまったく変わっていない。

反日・自虐歴史観では、「欧米が第一次世界大戦にかかりきりになっていたことに乗じて、日本が支那に権益拡大要求を押し付けた」となる。アメリカ、支那のプロパガンダをそのままである。

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参考文献 歴史年表