カイロ会談及び「カイロ宣言」

昭和18(1943)年11月、エジプトのカイロにおいて、フランクリン・ルーズベルトチャーチル蒋介石が会談した。
ここで「カイロ宣言」なるものが発表されたものとされ、日本に対して無条件降伏を要求し、降伏後の日本の領土を決定したと思わされている。
しかし、この「宣言」には三首脳の署名はない。また、支那(中華民国)もイギリスも認めていないものである。

出された声明の概略は以下のとおり。

フランクリン・ルーズベルト大統領、蒋介石大元帥及びチャーチル総理大臣は、各自の軍事及び外交顧問とともに北アフリカ(カイロ)において会議を終了し、以下の一般的声明を発した。

各軍事使節は、日本国に対する将来の軍事行動を協定した。
三大同盟国(アメリカ、イギリス、支那[重慶政府のこと])は、海路、陸路及び空路によって、その野蛮な敵国に対し仮借のない弾圧を加える決意を表明した。この弾圧は増大しつつある。
三大同盟国は、日本国の侵略を制止し、かつ、これを罰するために、今回の戦争をしているのである。
同盟国は、自国のために何の利益も要求するものではない。また、領土拡張の念を有するものではない。
同盟国の目的は、日本国から、1914年の第一次世界大戦の開始以後において日本国が奪取し又は占領した太平洋における一切の島しょを剥奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取した一切の地域を中華民国に返還することにある。
日本国はまた、暴力及び貪欲により日本国が略取した他の一切の地域から駆逐される。
三大国は、朝鮮の人民の奴隸状態に留意し、朝鮮を自由かつ独立のものにする決意を有する。
右の目的をもって、三同盟国は、同盟諸国の中で日本国と交戦中の諸国と協調し、日本国の無条件降伏をするのに必要な、重大かつ長期の行動を続行する。

とんでもない言いがかり、単なるプロパガンダにすぎないものがあるが、ともかくこんな文章が書かれた。たとえこれが宣言だとしても、宣言は宣言であって、条約でもなければ、法的拘束力をもつ法律でも規律でもなんでもない。

あきれたことにポツダム宣言はこの幻の「カイロ宣言」について言及している。

  ポツダム宣言

大西洋憲章」の中で、領土の変更は認めないと言っている。「カイロ宣言」自体が大西洋憲章の精神に違反しているのだ。


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参考文献 歴史年表