北方領土占領

日本がポツダム宣言を受諾した昭和20年8月14日から2週間経った8月28日、すでに満州、南樺太侵略を8月10日より開始していたソ連軍は日本の択捉島に侵入した(もちろんこれも日ソ中立条約違反である)。

  日ソ中立条約違反

そして9月5日までにソ連は北方4島の占領を完了した。
この4島に住んでいた日本人1万7000人あまりは昭和23年(1948)までに全員強制的に島を追い払われた。

千島列島最北端の占守島(しゅむしゅとう)には終戦3日後の8月18日にソ連軍が上陸した。そこでは残っていた日本軍が武器を置かずにソ連軍と壮絶な戦闘を行い、ソ連軍に甚大な被害を与えた。この奮闘によりソ連の千島列島南下が遅れ、米軍が北海道に進駐するのが先になって北海道の分割占領が阻止された。詳しくは以下のホームページをご覧ください。

北方領土のロシア領有の違法性と、ポツダム宣言第9条に違反してシベリアに100万近くの日本人を強制抑留し、10万人近くも死亡させたこととあわせて、日本の対露交渉の原点とするのがまっとうな外交といえよう。

  シベリア抑留

東大名誉教授の坂本義和和田春樹という連中は、北方領土にこだわって日ソ関係を損なうべきでない、などと主張しているらしい。こいつらは北朝鮮の拉致も虚構だといっている。

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参考文献 歴史年表