昭和20(1945)年9月2日、東京湾頭のミズーリ艦上で重光葵外相とマッカーサーとが休戦協定に調印した。「降伏文書」という名称は連合国側がつけたもので、国際法的には休戦協定である。 これによってポツダム宣言が国際法的効果を持った。つまり、ポツダム宣言を「条約」にする儀式である。 ポツダム宣言 この文書は二つの意義を持っていた。ひとつは、ポツダム宣言に従って日本を占領するということを連合国側が日本側との間で合意した条約であるということ。もうひとつは、以後、戦闘は終了して、国際法上の戦争状態が戦闘段階から占領段階に移ることになったというもの。 休戦協定調印式で、会場となったミズーリ号の艦上のマストには、古びた二つの星条旗が高らかに掲げられた。ひとつはペリーの黒船来航時、旗艦ミシシッピ号に掲げられていたもの、二つめはフランクリン・ルーズベルトが日本を戦争に挑発することに成功した12月7日のホワイトハウスに揚がっていた星条旗である。今は亡き、ペリーとルーズベルトという日本の侵略の立役者を称え、野望が叶ったことを両英雄に知らせ、感謝する瞬間を演出したのだ。 ペリー来航 この調印式の段階では、まだ戦争は終わっていない。戦争は講和条約の発効で終わるのだから、休戦状態ということになる。にもかかわらず、連合国側は降伏ということに重きを置いた。 無条件降伏へのすり替え |
参考文献 | 歴史年表 |