ヤルタ会談からポツダム宣言受諾まで

2月4日 ヤルタ密約(会談)(〜2月11日)。フランクリン・ルーズベルトスターリンにソ連の日本攻撃を約束させる。
4月5日 ソ連、日ソ中立条約延長しないと日本に通告(それでも1946年まで有効)
4月12日 フランクリン・ルーズベルト死ぬ。トルーマン大統領就任。
5月7日 ドイツ降伏
7月16日 アメリカ、原爆実験に成功
7月17日 ポツダム会談が開かれる。
7月25日 アメリカ、日本への原爆投下命令。ポツダム宣言の前であることが重要。
7月26日 ポツダム宣言が発表される。
トルーマン、原爆を投下する前に日本に降伏させないよう、降伏条件から天皇の地位保全を削除
7月27日 鈴木首相、ポツダム宣言「黙殺」と言われている。調査中
8月6日 広島に原爆投下
8月8日 日ソ中立条約を破棄してソ連日本攻撃
8月9日 長崎に原爆投下
同日 日本、「国体護持(天皇制国家体制の維持)」を条件としてポツダム宣言受諾を表明。
アメリカ国務長官バーンズは天皇制を守るのか明言せず(あまり明確に天皇制維持を保証してしまうと、ポツダム宣言を草案のまま提出していたら、原爆は必要なかったことがバレてしまうため)
8月14日 日本、ポツダム宣言受諾

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参考文献 歴史年表