禁教令

豊臣秀吉はバテレン追放令を発したが、徳川家康は当初、貿易奨励のためキリスト教には寛大だった。しかし、キリスト教徒の数が増え、幕府に脅威を与えると考え、1613年に全国的に禁教令を発した。しかし一方で貿易には熱心で、初期には貿易を奨励した。
17世紀はじめに来航したオランダやイギリスとの貿易を、長崎・平戸の商館に限り許可した。徳川幕府がこの両国に貿易を許したのはキリスト教の布教ではなく、貿易の利益のみを求めていると考えたからである。また、オランダは、ポルトガルやスペインが日本に領土的野心を持っていることを忠告した。そのため幕府は鎖国政策をとることになる。

ブラウザを閉じてください。