日米修好通商条約の後、日本で攘夷運動が激化した。幕府の大老、井伊直弼は前水戸藩主、徳川斉昭や吉田松陰など尊皇攘夷派100人あまりに徹底的な弾圧を加えた。萩にいた吉田松陰は、江戸に呼び戻され、牢で処刑された。 万延元年(1860)には、大老・井伊直弼が江戸城桜田門の近くで、安政の大獄に憤った浪士たちに暗殺される。 桜田門外の変(1860年) 吉田松陰の尊皇攘夷思想は幕末の志士たちを動かすことになる。 長州藩は、幕府批判勢力の中心だった。吉田松陰は、松下村塾という私塾で、弟子達に尊皇攘夷を説いて大きな感化を及ぼしていた。松蔭が安政の大獄で処刑されると、その弟子であった高杉晋作や木戸孝允らが藩を動かすようになり、長州藩は一部の公家と結んで、朝廷を強硬な攘夷論へと導いていった。 |
参考文献 | 歴史年表 |