明治維新のときの状況

19世紀の後半、わが国が明治維新をしえ開国をした時の状況は、簡単にいえば、西力東漸、つまり西の勢力が東の方へどんどん押し寄せてくる。そういう西力の東漸の中でアジアというものがまさに風前のともしびに瀕していた。当時アジアにおいて独立国だったのは、わが国のほか、現在のタイであるシャム王国、それからヒマラヤ山中の小さな国、ネパールとブータンくらいだった。
当時の支那(清国)はもう独立国としての実態を失っていた。アヘン戦争ですでに開国しており、イギリス香港を奪われている。北のほうは、外興安嶺(がいこうあんれい)から黒竜江までは全部ロシアに奪われ、南のほうの沿海州も全部ロシアに取られていた。

  アヘン戦争(1840〜42年)
  南京条約(1842年)
  ロシア、黒竜江以北奪取(1858年)
  ロシア、沿海州奪取(1860年)

明治維新で日本が開国したとき、清国はすでにそういう状況だった。
その他、太平洋の島々は、イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、アメリカといった国々で完全に分割されている。インド、ビルマ、安南、マレー半島、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、こういうものが全部西洋の植民地になって数百年を経ていた。日本は徳川時代初期から300年経っていた。こういう時代が開国当時の東アジアの状況だった。

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参考文献 歴史年表