日本で廃藩置県が実施された明治4(1871)年、足利義満以来途切れた支那大陸と国交が回復した。このときに結ばれた日清修好通商条規は、日本と清国が欧米諸国から押し付けられた不平等条約の治外法権や領事裁判権をお互いに押し付け合った、という意味では対等な条約だった。 当時の支那は法律があるようでないようなものだから、向こうの官憲に捕まったらどういう処罰をされるかわかったものではなかったのでこれは仕方がないものだった。 日本が清国に国交回復を打診したが明治3(1870)年8月で、翌年の7月にはすぐに締結された。 明治初期においては日本と支那(清国)との関係はさほど悪くなかったのだが、問題は朝鮮にあった。 朝鮮、日本との国交樹立拒否 日朝修好条規(1876年) |
参考文献 | 歴史年表 |