日清戦争の直前、日本が朝鮮の清国勢力を追い出し、大院君を迎えて親日政権ができた。 この政権が日清戦争に種々の内政改革を行った。これを甲午改革という。 例えば、
この中で重要なのは、開国紀念と称する清暦を廃止して朝鮮独自の年号を使おうとしたことだ。 それまでの挑戦は支那の属国だから歴が清国と同じだった。朝鮮は毎年、北京に暦をいただくため特別使節を出すことにしていた。それをやめ、李氏朝鮮の始まった1392年を開国元年と決めた。朝鮮の開国元年は日本ならば足利義満が将軍だったころで、室町時代である。 また、改革には賤民の身分を廃止するという項目もある。日本では明治3年(1870)に平民が名字を使えるようになり、明治4年に「えた・非人」の称の廃止令を出した。したがって、日本から見れば24年遅れて身分制度の廃止がうたわれたのである。 しかしながら、ここで掲げられた項目はいっこうに実現しなかった。大院君と斬新主義者の内閣が合わず、政務が滞ったからである。 そうしているうちに日清戦争が終わり、三国干渉により侮日親露の人が朝鮮にたくさん出てきた。 日露戦争前の朝鮮の状況 |
参考文献 | 歴史年表 |