甲午改革(1895年)

日清戦争の直前、日本が朝鮮の清国勢力を追い出し、大院君を迎えて親日政権ができた。
この政権が日清戦争に種々の内政改革を行った。これを甲午改革という。
例えば、
  1. 清暦を廃止し、開国紀念を用いる
  2. 貴賤門閥に拘わらず人材を登用する
  3. 人身売買の禁止
  4. 貴賤の別なく寡婦の再婚を許す
  5. 平民にも軍国機務処に意見を提出することを許し、卓見の持主は官吏に採用する
  6. 管理の不正利得を罰する
  7. 司法権限によらぬ捕縛や刑罰の禁止
  8. 駅人・俳優・皮工など賤民身分の廃止
  9. 拷問の廃止
  10. 租税の金納化
  11. 優秀な少年の海外留学
  12. 外国人顧問の招聘
  13. 阿片使用の禁止
等々、合わせて208件の改革案が議決された。上記の改革項目を一瞥しただけでも、当時の朝鮮の政治社会の停滞と前近代性を知ることができる。これらの改革は、自らが前近代的国家であった清国との妥協からは決して期待できないものであった。

この中で重要なのは、開国紀念と称する清暦を廃止して朝鮮独自の年号を使おうとしたことだ。
それまでの挑戦は支那の属国だから歴が清国と同じだった。朝鮮は毎年、北京に暦をいただくため特別使節を出すことにしていた。それをやめ、李氏朝鮮の始まった1392年を開国元年と決めた。朝鮮の開国元年は日本ならば足利義満が将軍だったころで、室町時代である。
また、改革には賤民の身分を廃止するという項目もある。日本では明治3年(1870)に平民が名字を使えるようになり、明治4年に「えた・非人」の称の廃止令を出した。したがって、日本から見れば24年遅れて身分制度の廃止がうたわれたのである。

しかしながら、ここで掲げられた項目はいっこうに実現しなかった。大院君と斬新主義者の内閣が合わず、政務が滞ったからである。
そうしているうちに日清戦争が終わり、三国干渉により侮日親露の人が朝鮮にたくさん出てきた。

  日露戦争前の朝鮮の状況


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参考文献 歴史年表