日露戦争に関しての発言など

司馬遼太郎「坂の上の雲より」
「日露戦争というのは、世界史的な帝国主義時代の一現象であることは間違いない。が、その現象のなかで、日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない」
「明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。この小さな世界の田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である」

ネール(インドの首相)
「アジアの一国である日本の勝利は、アジアの総ての国々に大きな影響を与えた。ヨーロッパの一大強国が破れたとすれば、アジアは昔たびたびそうであったように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり『アジア人のアジア』の叫びが起きた。日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった」
「もし日本が最も強大なヨーロッパの一国に対してよく勝利を博したとするならば、どうしてそれをインドがなしえないといえるだろうか?」
「私の子供の頃に日露戦争というものがあった。その頃のロシアは世界一の陸軍国だった。世界中は、ちっぽけな日本なんかひとたまりもなく叩き潰されると思っていた。アジア人は西洋人にはとてもかまわないと思っていたからだ。ところが戦争をしてみると、その日本が勝ったのだ。私は、自分達だって決意と努力しだいではやれない筈がないと思うようになった。そのことが今日に至るまで私の一生をインド独立に捧げることになったのだ。私にそういう決意をさせたのは日本なのだ」

チャンドラ・ボース(インド仮政府の首相)
今から約40年前、私がようやく小学校に通い始めたころ、一東洋民族である日本が、世界の強大国のロシアと戦い、これを大敗させた。このニュースは全インドに伝わり、興奮の波がインドを覆った。いたるところで、旅順攻撃や奉天大海戦、日本海海戦の勇壮な話で持ちきりだった。私たちインドの子供たちは、東郷元帥や乃木大将を敬慕し尊敬した」

バ・モー(ビルマ独立後の最初の首相)
「この勝利がアジア人の意識の底流に与えた影響は決して消えることはなかった。それはすべての虐げられた民衆に新しい夢を与える歴史的な夜明けだったのである。ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞いたのである。日本の勝利はわれわれに新しい誇りを与えてくれた。歴史的に見れば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点と呼べるものであった」

孫文(中華民国建国の父)
「日露戦争はアジア人の欧州人に対する最初の勝利であった。この日本の勝利は全アジアに影響をおよぼし、全アジア人は非常に歓喜し、きわめて大きな希望を抱くに至り、大国の圧政に苦しむ諸民族に民族独立の覚醒を与え、ナショナリズムを急速に高めた」

ムスターファー・カミール(エジプト民族解放指導者)
「日本人こそは、ヨーロッパに身の程をわきまえさせてやった唯一の東洋人である」

ウィリアム・デ・ポイス(アフリカ開放の父といわれた)
「有色人種が先天的に劣っているという誤解を日本が打破してくれた。日本が有色人種を白色人種の奴隷から救ってくれるので、有色人種は日本を指導者として従い、われわれの夢を実現しなければならない」

シーラーズ(イランの詩人)
「日本の足跡をたどるなら、われわれにも夜明けがくるだろう」

デニス・ペギー、ウォナー夫妻(日露戦争全史の著者)
「苦力(クリー)も主人となりうるし、主人たる西洋人も苦力に落ちぶれかねないことを示した戦争であった」

エジプト
「私は日本の乙女、銃を持って戦うあたわずも、砲火飛び散る戦いの最中に、身を挺して傷病兵に尽くすはわが努め」という「日本の乙女」という詩が作られた。これはエジプトだけでなく、レバノンの教科書にも掲載された。
なぜ、この詩がアラブ人に受けたかというと、当時、アラブ諸国がイギリスの支配下にあり、小国の日本が大国ロシアに勝ったことがアラブの人々に民族独立への希望と勇気を与えたからである。
また、エジプトの将校アフマド・ファドリーが桜井忠温の「肉弾」を翻訳した。これはアラビア語に翻訳された最初の日本の本だった。この本は日本ではほとんど注目されていないが「武士道」以上に世界に大きな影響を与えた。

イラン
「東方からまたなんという太陽が昇ってくるのだろう。文明に夜明けが日本から拡がったとき、この昇る太陽で全世界が明るく照らし出された。どんなに困難であろうとも、日本の足跡を辿るならば、この地上から悲しみの汚点を消し去ることができる」と、明治天皇を中心に団結し、大国ロシアを破った日本を讃える「ミカド・ナーメ(天皇一代記)」が出版された。

イラク
詩人のマァルーフ・アッ=ルサーフィーが「対馬沖海戦」を発表した。

トルコ
観戦武官のペルテヴ・パシャ大佐が戦記「日露戦争」と、講演録「日露戦争の物質的・精神的教訓と日本勝利の原因」を刊行し、「日本軍の勇敢さや国j明の一致団結を讃え、国家の命運は国民の自覚と愛国心で決するものであり、トルコの未来も日本を見習い近代化を進めるならば、決して悲観すべきではない。国家の命運は国民にあり」と訴え、それが近代化を推進する青年党の運動、ケマル・アタチュルクのトルコ革命へと連なっていった。
トルコでは「トーゴー通り」があり、「ノギ」という大きな靴販売店があり、「トーゴー」や「ノギ」という男の子の名前がたくさんつけられたのは有名である。

エジプト
トーゴー・ミズラヒーという映画監督がいる。

ポーランド(当時はロシアの属領)
第一次世界大戦末期に独立を達成するとウスーツキー大統領は、日露戦争に参加した日本軍指揮官に軍功章を贈った。
「ノギ」という名をつけた人を集めたら、教会がいっぱいになる村があった。

フィンランド(当時はロシアの属領)
フィンランド独立の英雄マンネルハイムは、帝政ロシア軍の騎兵旅団長として奉天の会戦に参加したが、この会戦で敗北したことから、日本のような小国でも国民が団結すれば大国のロシアでも勝てると、ロシア革命の混乱を利用して独立を達成した。
東郷平八郎にちなんだビールが発売されたのは有名である。

アメリカ
日本を激励する詩が黒人の新聞に掲載され、アメリカの黒人は日本が有色人種のリーダーとして、支那やインドと協力し黒人を解放してくれると夢想した。

  日露戦争
  日露戦争の世界史的意義

日本では「愚将」などと書かれることもある乃木希典対象が、外国で敬愛されるのは、旅順攻略作戦の指揮官であり、旅順の攻撃が世界史を変えたからである。レーニンが指摘したように、旅順の陥落がロシア革命に連なり世界史に大きな影響を与えたからである。

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参考文献 歴史年表