パナマ運河開通

1905年に日本が日露戦争に勝利した段階で、すでにアメリカは日本を叩かねばならないと考えていた。
日露戦争ののち、セオドア・ルーズベルトは、ロシアの敗北の原因を調べさせ、ロシアの艦隊がアフリカを経由して日本海まで来なければならなかったことが最大の原因と聞いて、パナマ運河の建設に膨大な予算と人材を投入した。
そして10年かかって、大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河を第一次世界大戦が勃発した1914年に開通させた。同時に、アメリカは日本が第一次世界大戦に参戦しないように、さかんに牽制も行っている。

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参考文献 歴史年表