ソ連は大正8年(1919)に外務人民委員代理のカラハンが支那との友好を求める宣言を発表した。実に紳士的な態度を示し、ロシア帝国が得た権益はすべて支那に返すと言い出した。 これによって権益を返さない他の列国は悪者に映る。しかし、ソ連は実際に返したわけではない。 たとえば、返すもののひとつに東支鉄道(東清鉄道)を挙げていたが、翌年に発表した第二次カラハン宣言では「東支鉄道の運行に関し、ソ連の必要を適当に尊重して特別条約を結ぶ」といって前言を翻している。 要するに、実行しない約束をしておいて支那人を感激させ、民族主義を煽り、ソ連への親近感を持たせるというやり方である。 参考文献:日本とシナ (渡部昇一) |
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